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JFケネディが尊敬した日本人

先日、次期駐日アメリカ大使に故JFケネディ米国大統領の娘、キャロライン ケネディ氏が起用されることが発表されると、様々なメディアがそのことを華々しく報じるなど、ケネディの、時代を超えた人気の高さがわかります。そのJFケネディが最も尊敬する日本人として賞賛した人物が、羽前の国(現在の山形県の最上川以南の地域)米沢藩の九代目藩主上杉鷹山でした。

国家の規模や時代背景は異なりますが、存亡の危機に瀕していた米沢藩を50年の計で見事に復活させた鷹山の本気のリーダーシップから、日本人が学ぶべきことは少なくないでしょう。もともと、戦国の武将上杉謙信で知られた上杉家は、日本有数の大大名でした。しかし、豊臣秀吉による国替えや、関ヶ原の戦での敗戦によって、鷹山が藩主に就いた時には、かつて100万石以上あった米沢藩の石高は、僅か15万石という有様でした。しかし、その一方で、100万石の組織体制のまま、同じ数の家臣を抱えていたといいますから、藩の財政は破綻するはずです。膨れ上がった借金は、藩の支出の6年分、商人からの信用も地に落ち、総力をあげても5両の金すら工面出来ない状態だったといいます。鷹山は、藩の財政・経済・人心が、困窮を極める中で、僅か17歳で藩主となり、半世紀の歳月をかけて、米沢藩を豊かな国に造り替えたのでした。


鷹山が、断行した政策は、今の日本政府の政策にも通ずる三つの柱でした。

一、行政・財政改革

二、産業の育成

三、教育改革

です。

まず真っ先に取り組んだのが行政・財政改革です。収入がないのだから、支出を削減するのはあたり前です。膨れ上がった組織を筋肉質なものにしなくてはなりません。

着物は木綿、食事は一汁一菜を超えなかったという逸話もあるほど、藩主の鷹山も自ら率先して、家計支出を10分の1近くまで切り詰めたといいます。また、旧来の既得権に固執し、変化を拒む役人を外し、あらゆる手段を使って有能な人財を登用しました。有能な人財には、乏しい予算から手当てを支給し、力を発揮するための組織づくりも怠らなかったのです。

次の柱が、今でいう成長戦略、すなわち産業の育成です。支出を削減して一時的に赤字の幅を抑えても、収入を得る産業が育たないと国富はつくれません。そのために、既存の産業である田畑の農地改革を行う一方で、漆・桑・楮(コウゾ)の木を植え、漆の実はロウソクに、桑は絹糸作りの養蚕に、楮は和紙の原料にしました。織物の染料となる藍玉や陶焼場(すえやきば)なども開き、自藩で織物工場を造ることで、収入を増やそうと考えました。鷹山は、質素倹約を推し進めて、財政を健全化させる一方で、藩のビジョンを示し、次世代の富の創造に繋がる未来投資に対して思い切った予算をつけたのです。

そして、国づくりは人づくり。こうした財政、経済の立て直しの中でも決して怠ることがなかったのが教育でした。産業改革を進める中で、家臣を有徳な人間に育てる様々な教育システムを取り入れました。また、謙譲の徳を広める藩校を再興するなど、民の道徳教育にも取り組んだのでした。

「成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」

鷹山の強い危機感とやり抜く覚悟が伝わる名言です。

経済が右肩上がりで成長し、時間がそのうちに問題を解決してくれる、というおおらかな時代はとうの昔に終わりました。ケネディ報道を見て、未来への希望を感じながら、改革に伴う痛みを一身に背負い、不退転の覚悟で新たなる国づくりを断行した、一人の政治家に想いを馳せたのでした。

 

鎌田 恭幸(かまた やすゆき)プロフィール
過去コラム一覧

鎌田恭幸

鎌倉投信株式会社 代表取締役 社長

1965年島根県生まれ。日系・外資系信託銀行を通じて25年にわたり資産運用業務に携わる。
2008年11月 鎌倉投信(株) 創業。2011年8月テレビ東京系列「ガイアの夜明け」で紹介される。

著書「日本で一番投資したい会社」(アチーブメント出版)
共著「21世紀をつくる人を幸せにする会社」(ディスカヴァー21)

 

掲載日:2013年8月9日

 
    

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